昭和41年(1966年)3月、たった一人で大分の田舎から東京の私大合格の為,

上京しました。何せ田舎者で緑色の電車が、山手線ぐらいしかわかりませんでした。

父親が運良く大会社の社員で本社ビルが虎ノ門にあり、世田谷に学生寮があり、

全国の支社から集まった学生が生活を、していました。当時の学食のカレーが50円で

大分ー東京の寝台特急の運賃は5千円で、学割で半額でした。サラリーマンの給料は

3万円位だと思います。千昌夫の「星影のワルツ」、「小指の思い出」が流行っていました。大学に入って一番最初に覚えたのが麻雀で、就職の為の、比数アイテムでした。

これが、ギャンブル人生の始まりでした。

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