彼女と同棲も最初はだけで、段々、徹夜麻雀、オート、中央競馬と金に余裕が出来たので

ギャンブルがエスカレートして行きました。そうなると、別れも早くなり、彼女に三下り半を突き付けられ、追い出されました。クラブもヤメ、ギャンブルを止めるために、池袋に

ある、ビル建設専門の水道会社に就職し寮に入りました。25歳になっていました。

同時に、1973年美濃部都政が、大井オート、後楽園競輪を廃止しました。

代わりに伊勢崎オートが誕生しました。会社の給料は5・6万円だったと思います

当時はマンション建設のラッシュ時代の始まりで、仕事は幾らでもあり、給料も

毎年上がったと思います。休みは船橋オートに通い、寮では、麻雀が出来る者がいず

徹夜で花札をやりました。結構、規則正しい生活を送り、たまにはキャバレーに行き

貯金もして、一生懸命に仕事を覚えました。バブル時代の10年前でした。

My Kyoutei Life

50年の永いギャンブル人生を振り返って、面白い話を過去からしましよう。ラストは 野球賭博にたどり着きます。 何故、メデイアが深く追及しないのかが、解ります。

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