その店は、京浜東北線の大森にあり深夜パブで食事も出し、カラオケもありました。

前半はサラリーマンが多く、深夜は水商売の人で繁盛しました。大森は平和島競艇の国鉄の駅でした。どうもギャンブル場とは縁が切れません。今度は仲間と、競艇場通いです。

当時は、関東では艇王彦坂の右に出る者がいなく、本当に強かったです。西は北原友次がいました。平和島一般戦だと思いますが、彦坂が追配され、当然、優勝戦はインで、本番になると、2~6コース選手が組んで内に入り、彦坂が6コースに回され、お客さんが大騒ぎ、彦坂が着外になった事を覚えています。彼は常に一番人気を背負っていました。当時は前半が2連複で後半が2連単でした。彼は37連勝、勝率9点台、グランドスラム覇者であり、後に新設された1986年の賞金王初代優勝者であり、それ以来26年間、2012年に山崎智也が優勝するまで、関東に優勝者は出ていませんでした。それぐらい競艇は関東の選手には不利でした。彦坂郁雄がいたからこそ競艇にハマッタと言えます。2年位過ぎたころ、お店に来ていたOLの彼女と真面目な恋愛を得て結婚しました。当時、流行っていた「東京ららばい」の中原理恵にそっくりの綺麗な24歳の娘でした。     To be continued

My Kyoutei Life

50年の永いギャンブル人生を振り返って、面白い話を過去からしましよう。ラストは 野球賭博にたどり着きます。 何故、メデイアが深く追及しないのかが、解ります。

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