50年の永いギャンブル人生

2002年、54歳で、大学時代からの友人の会社に拾ってもらい、在庫管理、広報等なんでも手が空けばやり、会社は社長のワンマン経営で、入社したばかりの私が、いつの間にか、2番手になり会社の経費節減、効率化をしましたが、リーマンショック等で不景気になりましたが、入社した時、事務所家賃は50万円で、2016年の今は15万円に移転し、儲かっていませんが何とかやっています。でもその間は、競艇、パチンコをやり続け、

平和島も場外売り場を開設、一年中舟券を発売しています。バブル時代はパチンコもよく出て、25連チャン、トイレ行けず確変確変の連続で当時両替は2.5円と思いますが、12万5千円になったことを覚えています。入社したころ、私の住まいの近くに大きなパチンコ屋が

新規オープン、出しまくっていました。月に10万円勝ちが3~4回あり知り合いの女は

サラ金50万円をパチンコ海で儲け返済し、貯金もして100万位貯めたみたいです。

その女は勝負師で朝から1000回ハマッても出るまで金をつぎ込み、20連チャンして

回収、今の時代は、私もそうですが、今は1か月トータルでは、誰も勝てないと思います。ハマッたらとことん出ません。コンピユーターで完璧に出玉制御しています。1時間で2~3万軽く負けます。競艇で勝って、パチンコで大負けしています。

自宅の帰り道に、パチンコ屋3軒あり、競艇場から帰るのにタクシーの方が安上がりです。

                       To be continued            

My Kyoutei Life

50年の永いギャンブル人生を振り返って、面白い話を過去からしましよう。ラストは 野球賭博にたどり着きます。 何故、メデイアが深く追及しないのかが、解ります。

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