50年の永いギャンブル人生

1988年に彦阪が整備違反で懲戒処分になったのが、今、思えばバブル崩壊の予兆だったかも、私の知り合いに元不動産屋の地上げ、競売屋がいて、遊んでる若い男を探し、空きマンショの部屋に居座りさせ、ヤクザと組んで金を取っていました。当時の競売は暴力団の談合で落札し、転売で荒稼ぎ、狙ったマンションの住民を金で追い出し、高く転売していました。銀行も簡単な審査で金を貸し、1年100万円定期で7~8万円の金利が付き、古いビルの18坪の賃貸の飲食店に立退料一律4500万円を払っていました。知り合いの、

不動産屋がグワムに土地を買い、円高になり大慌てで九十九里に200坪2500万円で土地を買い、それを担保にノンバンクから1億円の融資を受けていました。そして1992年

(平成4年)バブル崩壊が来ました。ビルを買いあさっていた大手不動産屋が突然売買をヤメ次々に撤退していきました。野球賭博のスナックのマスターも例外でなく町工場のオヤジ連中が金を払えなくなり口張りになり、上に払う金がなく、オヤジ連中を追い込むと警察に駆けこまれるので、遂にパンク、女房と離婚してトンズラし行方不明になりました。

競艇も客が激減していきました。バブル時稼いだ金は、裏金で表に出せず、飲み食いギャンブル、女に使い、消えて行き、土地の値が下がり続き、売る事も出来ず銀行の借金を払うことが出来ず倒産していきました。       To be continued

My Kyoutei Life

50年の永いギャンブル人生を振り返って、面白い話を過去からしましよう。ラストは 野球賭博にたどり着きます。 何故、メデイアが深く追及しないのかが、解ります。

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