50年の永いギャンブル人生

野球賭博の全盛期は、競馬のノミやも全盛期で、日曜日は、付き合いで仲間のマンションに集まり酒を飲みながらノミやに電話、サラリーマンも利用していたみたいです。また女子たちは、芝浦のデイスコ「ジュリアナ東京」へ、時間になると田町駅はワンレグボデイコン女子がゾロゾロと芝浦へ、銀座のクラブのボーイ達は、閉店時間になると客の為タクシー取りに電話を掛けぱなし状態、メデイア関係者も社長さんに連れられ、高い酒を飲み、ギャンブル三昧の記者もいたと聞きました。銀座のクラブホステスは美人、知性、会話接客サービスで格式が高かったのが、バブル時客が、不動産屋、土建屋等と客の質も落ち、店は若いヤラセ専門のホステスを集め、バブルが終わると店も終わった。

パリーグは1969年に西武ライオンズの黒い霧事件あり、巨人を除いて多くの選手が解雇された、パリーグは1985年に予告先発、セリーグは2012年に導入、野球賭博には

野球界に精通したハンデ師が必ず必要で、野球賭博を巨人、阪神は百も承知だったと思います、前は匿名にしていましたが、その当時のハンデ師は、青田昇(故人)と聞いていました。忘れていましたが、報道されたようです。当時、巨人戦のナイターを見ると、相手チームが小学生レベルのエラーをしたり、野球賭博として見ていたら不可思議な試合が数多くありました。その当時の記者等は、今、管理職になっていると思います。To be continued


My Kyoutei Life

50年の永いギャンブル人生を振り返って、面白い話を過去からしましよう。ラストは 野球賭博にたどり着きます。 何故、メデイアが深く追及しないのかが、解ります。

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